休日の午後、駅前の喫茶店。
ガラス越しに差し込む陽射しは柔らかく、テーブルの上に淡い影を落としていた。
店内にはコーヒー豆の香りが満ち、ゆったりとしたBGMが流れている。
けれど、その穏やかさとは裏腹に、窓際の席だけはどこか落ち着かない空気をまとっていた。
そこには美衣葉、綺尋、香唯の女子3人が集まっていた。
メニューも開かず、ただ互いの表情を探るように視線を交わしている。
同じ心配を抱えているのが、言葉にしなくても伝わってくる。
「……今日、杏捺には集合時間を少し遅く伝えてるの」
意味、わかるよね? と綺尋が指を立てると、残りの2人も小さく頷く。
これから話す内容は、本人のいないところでしか言えないことだと全員が理解していた。
「最近の杏捺……なんかちょっとやつれたよね」
カップが触れ合う音やBGMが流れているのに、香唯の言葉だけが妙に響く。
その響きは、3人の胸に沈んでいた不安を、そっと掘り起こすようだった。
「わかる。杏捺ってわかりやすいけど、自分から話さないよね」
「自分より他人優先するし……余計にさ」
綺尋が心配そうに言うと、美衣葉も同意するように言葉を重ねる。
普段の明るいトーンとは違い、静かで、逆に落ち着かない。
3人にとって杏捺は、これまで何度も助けてくれて、背中を押してくれた存在だった。
だからこそ、彼女たちは杏捺を放っておけなかった。
今度は自分たちが杏捺のことを支える番だと、自然に思えてしまう。
「先輩にフラれたって聞いたけど……やっぱり、まだ引きずってるのかな」
香唯のため息交じりの声は、テーブルの上に落ちて消えた。
その小さな音が、妙に重く感じられる。
みんな、恋愛経験があるわけではない。
けれど、自分の感情ではないとしても、失恋という単語の重みは知っている。
きっと痛くて、辛くて、うまくいかない。
しかも、相手が憧れの先輩ならなおさらだろう。
「桐嶋先輩でしょ?」
「それなんだけどさ……」
綺尋が、思い当たる節があるとでも言うように、会話に割って入る。
だがその表情は、何かを言うのをためらっているようで、指先がそわそわと落ち着かない。
言葉を選んでいるというより、言いたくないことを無理に引き出しているような気配があった。
「お姉ちゃんに名前聞いた時、ちょっとこわかったんだよね」
視線を落としながら呟く綺尋。
テーブルの下で、誰かの足が小さく揺れた。
「こわいって、なにが?」
美衣葉がわずかに身を乗り出す。
興味というより、不安に引き寄せられるようだった。
「スクロールしたら、こんなこと書いてあって……」
そう言って綺尋が携帯を取り出す。
画面の光が綺尋の顔を照らし、緊張で唇がわずかに引き結ばれているのがわかった。
読み上げられる文字を追うたび、空気がじわじわと重くなっていく。
――――――――――
もしかして桐嶋夏也?
アイツ水泳部だよ
去年の大会で記録出した、
って話題になってたし
レギュラーとかあんのかな
結構主力らしいね
私はあんまり知らないけど
部活一筋って感じ?
なに、アンタ桐嶋に惚れた?
悪いこと言わないからやめときな
アイツ無意識に女の子をフる天才
無自覚に爆弾落としてくタイプ
告白する前に勝手に失恋してるって、
もはや才能だって言われてる
今まで何人も撃沈してるの見てきたよ
好きになったの後悔する〜ってさ
――――――――――
読み終えた瞬間、彼女たちの間に小さな沈黙が落ちた。
香唯が唇に指を当てて、こぼれるように呟く。
「え……ヤバくない?」
「ヤバいね」
「ちょっと、語彙力なさすぎでしょ」
美衣葉が合わせてきて、綺尋が言い返す。
軽く笑い飛ばそうとした声も、どこか引きつっている。
笑いに逃げようとしても、胸に残るざらつきは消えなかった。
「改めてお姉ちゃんに聞いてみたけど、嫌な奴ってワケじゃないから余計ムカつくって言ってた」
綺尋のその言葉に、また静けさが戻る。
窓の外を見て、美衣葉が呟く。
「たぶん、優しいフラれ方したんじゃないかな……」
「それ逆にキッツイよねぇ」
頬杖をつきながら言う香唯の声は、どこか寂しげだった。
「最近の杏捺、無理して笑ってる感じしない?」
普段は元気な美衣葉が、珍しく声を沈ませた。
手元のストローをいじりながら思い返した。
たしかに最近の杏捺は、ため息ばかりで返事も遅い。
それは最初、勘違いだろうと思っていた。
けれど、あの笑顔の奥にある曇った表情は、思い違いではなかった。
いつもなら誰より明るく、優しく振舞っているのに。
3人はその違和感を、言葉にできないまま抱えていた。
「どうしよう……なんかしてあげたいけど」
ぽつりと漏れた声は、まるで自分自身に問いかけているようだった。
「うん。でも、聞き出すのは違うと思う」
「ていうか、本音言わないでしょ。意地っ張りだもん杏捺」
慎重に言葉を選びながらも、気持ちは同じ方向を向いていた。
話を聞いてあげるべきか、あえてそっとしておくべきか。
杏捺の強がりを知っているからこそ、踏み込みすぎるのは良くない。
「とりあえず、そばにいてあげよ。あの子、ひとりで抱え込むと止まらなくなるし」
「なんか甘いもの食べさせてあげたりさ」
その提案に、自然と頷きが重なる。
彼女の強さと不器用さを知るからこそ、もっとできることはないかと思ってしまう。
それでも、踏み込んでもいいのか、踏み込んで何ができるのか。
どうすれば彼女の痛みを分かち合えるのか、答えは見つからないまま時間だけが過ぎていく。
静かに落とされる呟きには、それぞれの想いが込められていた。
誰もが無力感を抱えながら、それでも何かしたいと思っている。
みんなでいる時くらい、楽しく笑っていてほしい。
できることは多くないけれど、何もしないよりずっといい。
「放っておけないよね」
美衣葉がそう言うと、残りの2人も静かに同意した。
ちょうどその時、入口のベルが軽やかに鳴る。
杏捺がドアの向こうから顔を出した。
少し息を弾ませながら、3人を見つけると、表情がパッと明るくなる。
「みんな早いね! ごめん、待たせちゃった?」
その笑顔が本物かどうか、彼女たちは一瞬だけ目を合わせた。
けれど、すぐにいつものように手を振って、そっと席を詰めた。